大阪地方裁判所 昭和44年(わ)847号 決定 1969年7月15日
被告人 I・D(昭二五・九・二九生)
主文
本件を大阪家庭裁判所に移送する。
理由
当裁判所の認定した罪となるべき事実は
被告人は、昭和二五年九月二九日生れの少年であつて、昭和四二年一月より大阪府茨木市○○×丁目○番○○号○口タイル店こと○口新○郎方において住込みのタイル職人として雇われていたものであるが、生来知能が低くこれに強く劣等感を抱いていたところから、日ごろ同店の事実上の主人である右新○郎の長男Aが仕事上のことで、被告人に事細かに指示、命令する等のことがあつて自分が馬鹿にされているものと考えて、反発を感じていたところ、
第一、昭和四四年一月○○日茨木市内の仕事現場で同僚と大喧嘩し面白くなかつたところへ、右Aから仕事の手順を事細かく指示、命令され、更に翌二六日高槻市内の仕事場において、右Aより仕事の手順につきくどくどと説明を受けたことから日ごろの不満も手伝つていたく立腹し、この上は同店を同月限りでやめ、その際腹癒せに○口方の居宅や倉庫に放火して雇主や同僚が仕事ができなくなるようにしてやろうと決意し、同年二月○日午後五時ごろ同市○○×丁目○○○番地の一、A所有の倉庫において、用意してきた灯油一八リットルのうち一部を同所にあつたバケツに移しかえ、その残りを中二階および階下の床一帯にまき散らした後、右バケツを携えて、同所より南方へ約一五〇メートル離れた同市○○×丁目○番○○号○口新○郎方居宅に赴き、同日午後六時四〇分ごろ右居宅一階の南側廊下に灯油をまき散らした上、所携のマッチで点火して放火し、火がカーテンに燃え移つたのを見届けてから再び前記倉庫に戻り、中二階において、前記の通りまき散らされた灯油のついたダンボール箱に、同様の方法で放火し、よつて右新○郎ならびにその妻ス○ノが現に住居に使用する木造瓦葺き二階建居宅一棟(建坪約八〇平方メートル)および現に人が住居に使用せず、且つ人が現住しない木造トタン葺平屋建倉庫一棟(建坪約九〇平方メートル)を、それぞれ全焼させて焼燬し、
第二、右犯行後東京都内に逃走し、同月△日同都新宿区○○○○×丁目○○○番地ホテル「と○わ」に投宿し、前金として宿泊代四、〇〇〇円を支払つたが、所持金が残り少なかつたためそれ以上の請求をされるのをおそれ、係女中に朝食をもつてこさせた上脅して逃げ出そうと考え、翌×日午前七時四五分ごろ同ホテル二〇八号室において、朝食を運んできた女中○堀○い(当時四〇歳)に対し、その背後からいきなり左腕を回して首を締めた上、右手に持つた刃体の長さ約一四・三センチメートルの登山用ナイフ(昭和四四年押二八一号)を顔の前にちらつかせながら「静かにしろ」と語気鋭く申し向けて同女の生命、身体に危害を加えるかのような態度を示し、もつて凶器を示して脅迫し
たものであつて以上の事実は被告人の当公判廷における供述その他当公判廷において取調べた各証拠上明らかに認めることができる。
なお、弁護人は被告人が本件犯行当時精神障害のため心神耗弱の状態にあつたと主張するが、被告人の検察官並びに司法警察員に対する各供述調書によれば、被告人は逮捕されて以来取調官の取調べに対し一貫して詳細且つ明確な供述をしており、また犯行の態様も計画的で周到を極めていること等からみて、当時被告人の事理弁識の能力は著しく減退してはいなかつたことが認められるので、右の主張は採用しない。
ところで法律に照らすと
被告人の判示第一の所為のうち現住建造物放火の所為は刑法一〇八条に、非現住建造物放火の所為は同法一〇九条一項に、判示第二の所為は暴力行為等処罰に関する法律一条、罰金等臨時措置法三条一項二号にそれぞれ該当する。
本件第一の犯行は極めて重大であり、第二の犯行もかなり危険なものであつて、少年とはいえ被告人の罪責は軽くない。しかしながら、被告人に対していかなる処遇をなすべきかについては検討を要するところである。
当公判廷において取調べた各証拠によると、被告人は生後僅か八ヵ月目にして京都市内の施設に預けられて以来義務教育を終了して措置解除となるまでずつと施設で育ち、その間、父親とは死別し、母親もほとんど寄りつかなかつたため全く家庭的な雰囲気を知らない孤独な生活を送つてきた上、生来知能が低く(IQ六四)小、中学校を通じて放任され周囲からも学業不良児として取扱われてきたことから、知的なものに対する劣等感が強く固定化するとともに、周囲に対する不信感も強く他人との協調性に欠ける等の性格的欠陥を有するに至つたことが認められる。
次に本件犯行の動機、原因について見るに、被告人は中学校卒業後京都市内の電気器具メーカーにおいて組立工として約八ヵ月働いた後○口タイル店に就職したものであるが、前記のとおり劣等感が強く内向的性格であつたため、教える方にとつては、物おぼえの悪い被告人を一人前の職人に育てあげるためにした指示や叱責が、不幸にも被告人の劣等感を刺激する結果となり、それに対する反発が蓄積されて遂に本件犯行を犯すに至つたものであつて、被告人の資質、性格を十分に顧慮した職業指導が行われ周囲の者も被告人を理解してもつと人間的に接してやつていたならば、本件犯行も未然に防止し得たものと考えられる。
右のとおり被告人の本件犯行は、不幸な生活環境に育つたため、健全なる精神的発達を遂げられなかつたことに基因するものであり(本件犯行及びその前後の状況は被告人の精神的未発達、知能の低格性、強い劣等感、協調性の欠如等の諸特徴をよく示している)、しかも、被告人は、このような生育環境にもかかわらず、小学生のころ窃盗の件で補導を受けたことがある他は全く非行歴がない上、山○稔作成の職業照会に対する回答書によれば、電気器具メーカーにおける被告人の勤務状況は、多少協調性に欠ける面があつたとはいえ、全般的に真面目で上役からも信頼されていたことが認められ、これらの事情を考慮すると、本件犯行は多分に偶発的なものと思われ、その重大性の故に今被告人に対し直ちに刑罰を以てのぞむことは被告人を同種の犯行を繰り返す犯罪人に追いやることとなるであろうし、このまま執行猶予に付することも極めて危険であると考えられ、一方適当な保護施設に収容して適切な仕事を与え被告人の能力を開発することによつてその劣等感を取り除くとともに、集団生活を通じて他人との協調性を増さしめるよう訓練し、適当な勤務先に就職させれば被告人を更生させることも可能であると認められ、諸般の事情を考慮すれば、むしろその方が被告人にとつても、そして社会にとつても、適切な措置であると考えられる。
以上の理由から、この際被告人に対し刑罰を科するよりは、保護処分に付し自力更生を助成する方が相当と認められるので少年法五五条を適用して本件を大阪家庭裁判所に移送することとし、よつて主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 古川実 裁判官 下村幸雄 裁判官 棚橋健二)
〔編注〕 受移家裁決定(大阪家裁 昭四四(少)四四六一号 昭四四・七・二八決定中等少年院送致決定)